【シンクロニシティ】意味のある偶然なんて存在しない【アノマリー】

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009.シンクロニシティという私宗教

さて、毛色変わって明るい話題です。シンクロニシティをご存じでしょうか?
意味ある偶然とか訳されていますが、要は何か意味ありげな偶然です。

個人的には勘違いでしかない、といったものにエンジェル・ナンバーがあげられることがよくあります。まあ、自分個人とよく出会う数字やぞろ目に意味を見いだそうとするものですが、たまたま目に入ったもので記憶に残りやすいから残ってるだけー、としか思えません。今は(汗)

信じている人には悪いですが。シンクロニシティというのはそんな四六時中起こっている偶然などではなく、実際の用法の例として、機械と非常に相性の悪いひとがいて、その人が来ると、かなりの確率でなぜか機械が不調になるか、壊してしまう人がいたエピソードがとりあげられてます。でも、なんかこれも電磁波かなんか説明がききそうなんですが、心理学的にみたらオカルトで、定義付けなくちゃということで、シンクロニシティと呼ばれています。

これは、行動経済学のアノマリーと似たような表現ではないでしょうか? アノマリーとはノーマルではない、例外的な規則、法則のことを指します。

身近な例で恋愛についてというと、運命の出会いなんてよく言いますが、これがシンクロニシティかというと、私はどうかなあと思います。仮にその運命の出会いが確かで、運命で、決定づけられているなら、避けて通れない必然ということになり、すなわち宿命となっていると思います。言葉遊びになりますが、

運命というのは、変えられるもので、変えられないものを宿命といいます。
宿命には、選択肢はないんです。むしろ避けようとすると、戻されるような、邪魔が入るような。そうなってくると、映画のマトリックスのような現実は仮想現実だ、みたいなことを妄想してしまいます。ある場所にいこうとすると局地的豪雨で電車が動かないなんてことがあったのですが。実は自分はそこから先のエリアに立ち入ることは許されてなくて、あるエリアのそっから先は存在しないのではないのか? と。ゲームで言ったら、そっから先ロードされなんじゃないかとw

シンクロニシティで思うことは、定義に少し付け足したらいいのではということです。というより捉え直した方がいいのではないかと一当事者は思います。シンクロニシティを意味ある偶然というぼやけたものではなく、時系列、因果律の法則ではない何かによってもたらされた現象ないし出来事といったらしっくりいくのではないでしょうか??

ゲームでいったら開発者専用の裏コードのようなものがあって、なんらかの拍子で起動してしまった。例えば、ゲーム上絶対に普通にプレイする限りでは見つからないコマンドであるデバッグ用の隠しコマンドを偶然押してしまうようなものです。

それを表から見ていたらなんなんだこの現象、となるわけです。

実際に私に起こった時系列、因果律の法則ではない何かによってもたらされた現象をご紹介します。

夢占いに「喫茶店で友人と話す」という項目があります。その意味は、近々疎遠になりつつあった友人、知人その人から連絡があるといったものですが、夢占いで意味を調べて失笑した、後5分以内に電話があったときは戦慄しました。頼みごとでしたが、気持ちの悪さから断ってしまいましたw

ただそれで、夢占いというのは、予知なのか? というと一考の余地があると思います。
この場合:電話があった→話した→夢で見た。なら普通の話なんです。
これが夢で見た→電話があった。だから気持ち悪いのです。

この夢で見た→電話があったの間に別の次元か空間かでタキオン(時間軸を逆行するとされる未発見の粒子)のようになんらかの情報を持った何かをやりとりしていた。または、ゲームでいう開発者向けのプログラムが偶然起動したような、裏次元の、自分たちの次元では決して確認できない物理学の自然法則みたいなのが、あると考えるとすっきりするんです。夢で見た→未知の法則(当事者が語るシンクロニシティ)→電話

実をいうと、先ほどの失語症の少女の話。あれもシンクロニシティと切っても切り離せません。小説を書いて治すという方法を実践したのですが、私小説の中に私は、なぜかブローカ失語症の少女をだしていました。物語のつじつま合わせかなんともなしに出していたのですが、その矢先にであったりしてます。しかも、当初行く予定だった三重県が集中豪雨で電車が止まらないとその偶然は起きなかった。

だったらこのシンクロニシティはなんなのか??
そして、肝心なのはそのシンクロニシティはその当事者にとって、になるのかになるのか?
そこが重要だと思います。

 

だから、まあ私はぎりぎりまでシンクロニシティという裏法則に人生委ねてどこまでいけるのか? 実践しています。これでもし、成功をおさめたりなんかしたら、運命論者に転向するやもしれません。一番いやなのは成功もせずかといって、ひっそりと誰か本命の人に影響を与えるだけの踏み台的ポジションですねw けど、自分で選んだことなので、とことんやってみようかと思います。それが運命に翻弄された宿命だったとしても。きしょすぎてファルシのルシを思い出しますね。まあ、意味知らないのですがw

結果的には、今現在。健常者として営業の仕事をしている程度はできています。

シンクロニシティを別に考えたとしても、自身の直感やひらめきを信じるというのは大事なのかもしれません。カクテルパーティー効果というものがあります。すっごいガヤガヤしてる中で、自分の気になる情報だけを、人は取捨選択して、聞き取れるというものです。また、自身に何かの栄養素が欠けている場合、その栄養素を補うものを食べたくなるそうです。

ということは、精神障害で何かが欠けている状態の人は、自分が行きたい、進みたい方向にこそ、その欠けている何かを満せれるものが見つかる可能性があるのではないでしょうか?? 私は、6年前、自己との対話をタロットや夢分析をして行い、自分の進みたい方向に最大限譲歩するかたちで人生を過ごしました。

今現在、自分障害かもというと、「まわりから私の身近にいるけど、障害なんてないない」と否定されます。多分その身近の誰かよりは確実にひどかった気もしますが。

ただ、不治の病を完治させた。その方法を説得力を持って、わかりやすく、一般化して伝えることのなんたる難しさか。私はこのことに生涯をかけてコミットするとは誓ってますので、頑張っていこうかと思います。

元精神病患者が、同系統の精神病患者を直接リードして快癒させるプロセスが一般化するまで。

持論ですが、極論として臨床心理学に「p」は要らないんです。
アマサイ(amapsy.com)をどうか宜しくお願いします。

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