『うつ病は甘え』論争に終止符を打つ方法

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ネットを検索すると『うつ病は甘え』という意見をみかけることがあります。

昔より理解が深まりそのような論調は減ってきたように感じますが、本当にそうなのでしょうか?

うつ病は甘えということに対して手始めというか再確認というか、をさせて頂こうかと思います。

うつ病は甘えなのか?

 

「はっきりいって甘えです」

 

そう断言したはずです、病気にかかる前の自分では。

だったら今の自分に同じ問いをかけたとします。ぶっ殺すぞ、お前、というか脳にダメージ与えちゃるぞ、というような不可解な怒りというか憎しみで一杯になります。

どうしてこのような温度差が生じるのか? というのは、こころの病、メンタルヘルスなどといったオブラートな表現が逆に理解を妨げ、両者に決定的な溝を作り出していると考えています。

昔の自分は、ぶっちゃけ対岸の火事だしね、なんかメンヘルとか言うぐらいだからメンタルが弱いんだろ? そういうスタンスでした。ーー精神病にかかるまでは。精神病の精神という言葉もミスリードになる気がしてもう鼻がピクピクします。

精神病というのは、当事者になって思うことですが不可解な世界では決してなく、極めて合理的なまたは社会通念上短絡的な思考回路が形成されてしまう、脳の内部回路のエラーによるものであって、それが精神とかこころとか魂などといったものとは一切関係ないものと感じることが多々有ります。

ですので、何か社会運動するなら精神科を脳内科に変更すべきと声高に言いたいところです。

では、甘えではないとしたら、何なんだ? という問いに回答せねばなりません。つまり、うつ病は異常ということを語らなければいけません。

しかしながら、極端なまでに自分の異常さ加減を語られることを非常に煙たそうに、汚物にでも触れるかのように健常者は反応します。

反芻するように身に迫ってる異常性、危険性を知らせるような行為は、早い話人間関係を壊します。

親しいものから順番に。

そして、それが日常になることで、かなりまずい脳内回路が形成されているのですーー。(読むのを止めるなら今のうちです)

人間ですので1度や2度は気分の沈むことがあるかと思います。

私が自分が異常なんだ、異常な事態が起きていると感じたのは、その気分が沈むことが本来起こりえないと判断したからです。私が自らを異常者だと判断した特徴は気分が沈むことが過去と未来にまで影響を与えていたからです。

うつ病の異常性は過去と未来に波及する

うつ病の定義はこうなってます。気分障害の大うつ病エピソード(うつ状態)として

うつ状態は、悲観的な考え、憂うつで悲しく気落ちした気分、絶望、興味や喜びの低下、食欲減退、不眠、不安、焦燥、思考制止(着想貧困化、考えがわかない)、活動性の低下、疲れやすさ、気力減退、罪業感、集中力低下、決断不能、死についての反復思考、などが症状として現れる。

ーー心理学辞典より

あくまで臨床心理学は健常者から見た学問がほぼですから、羅列となってます。でも、当事者としてみるとなんかちょっと違う。恐らく当事者それぞれでなんか違うと思う箇所が違うかもしれませんが、私としては納得できない。あ、現在悩んでることがあって、気分が憂うつってのはいたって普通かと思います。

自分がまずおかしいと判断したのは、過去の楽しかった思い出を思い出し、死にたがっている自分を発見した時です。恥ずかしい思い出、笑った思い出、楽しかった思い出、いろいろありますが、過去自分が思い出して懐かしい気持ちに浸ったり、楽しかったと思い出す記憶を思い出して恥ずかしい死にたいという回路が形成されていました。これに気付いた時、驚愕の思いでした。

また、幼馴染と両想いになり、本来ならば幸せの絶頂という状態になったはいいものの、出てくる想像が全て最悪の結末を迎えるものでしか想像できなかったという生き地獄を味わった経験もあります。

この二つの体験談からうつ状態だったんだ。と私は気づき、通院へと覚悟を決めました。しかしながら、通院しなかった方が良かったのかもしれませんが。

というわけで、現在の私は、

『うつ病は甘え』ではないと声を大にして言いたい。

が、論争に終止符を打つ方法はなく、

両者の間には想像を絶する隔たりがあり、臨床心理学といった学問も健常者からの視点に拘っている以上なーんの面白い進展もなさそうだという私感でした。

 

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